こんにちは!
今回の記事では、佐々木朗希投手の家族構成についてまとめていきます!
2019年、ドラフト一番の注目選手と言われる大船渡高等学校の佐々木朗希投手。
1年生の頃からその才能を発揮し、3年生となった現在ではスカウト陣も惚れ込む怪物投手となりました。自慢のストレートはあの大谷翔平を上回るとも言われ、今後の成長や活躍もすごく楽しみな選手です。
そんな佐々木朗希投手ですが、どのような家族構成をしているのでしょうか?
両親の存在や3兄弟の仲についても気になります・・・。
さっそく調べてみたいと思います!
大谷2世と呼ばれる佐々木朗希とは?
佐々木朗希投手は、岩手県の陸前高田市の出身です。
2001年11月3日生まれの18歳(2019年7月現在)身長は189㎝・体重が81㎏と恵まれた体型をしています。
野球でのポジションは投手で、右投げ右打ちです。
小学校は陸前高田市の高田小学校に通っていましたが、2011年の震災がきっかけで大船渡市の猪川小学校に転校しました。
野球を始めたのは小学3年生からだそうです。
中学は市内の大船渡第一中学校で、この頃にはKWBボール(軟式球と同じゴムですが、大きさや重量が硬式球と同じもの)の大会で、選抜メンバーのエースとして東北大会で準優勝を収めています。
高校は大船渡高校へ進み、1年生の時には147㎞を記録し一躍有名になりました。
2年生の夏には150㎞を超え、さらに秋には154㎞に!
侍ジャパンU-18の代表候補にも選ばれ、合宿時には163㎞(測定の誤りだという説もありますが)をマークしたそうです。
天才的な才能を持った佐々木朗希投手。野球関係者の間では大谷2世と呼ばれるほどです。これからどんな活躍を見せてくれるのかとても楽しみですね!
佐々木朗希の家族構成!両親は母親ひとり?
佐々木朗希投手は、母親と兄・弟の4人家族です。
父親はいないため、両親は母親ひとりです。
実は、佐々木朗希投手が小学生だった2011年に東日本の震災に被災しました。
この時の津波で父親が被害者となり、当時住んでいた自宅も流されてしまうということがありました。住んでいたのが陸前高田市だったため、震災の影響を激しく受けたんです。
父親や自宅を失い震災という傷を心に負ったにもかかわらず、子供たちをひとりで育ててきた佐々木朗希投手のお母さんは本当に立派だと思います。
さらにその状況のなかで大谷2世と呼ばれる選手を育ててしまうのだから驚きです。
佐々木朗希投手がこれほどまでに力をつけ、活躍しているのはお母さんの存在があったからかもしれませんね!
佐々木朗希は3人兄弟?
佐々木朗希投手は3人兄弟の真ん中です。
兄弟には3歳上の兄と弟がいます。
震災で父親と自宅を失ってからは、兄が自ら父親の変わりをしていたと言います。
兄弟の中でも佐々木朗希投手に対しては特に厳しく、野球に関しては全くと言っていいほど褒めなかったそうです。
“少しくらい褒めてあげればいいのに”と思いますが、そこはあえて突き放すことで佐々木朗希投手をさらに成長させるという兄の優しさがあったのかもしれません。
実際にお父さんは、以前に長男に対して厳しく躾けをして育ててきたそうです。
お兄さんはそんなお父さんの背中を見てきたことで、佐々木朗希投手にも同じく厳しい躾けをしているのだと思います。
長男に厳しく躾けをすることで、今度は兄から弟へとその躾けは受け継がれていく。そんな一家の習わしが兄弟たちをたくましくしているのかもしれません。
震災という厳しい状況を乗り越えてきたことが、家族や兄弟の絆を深めていると思います。
佐々木朗希の家族構成まとめ
いかがでしたでしょうが?
佐々木朗希投手には、母親と兄・弟がいる4人家族でした。
父親は佐々木朗希投手が小学校だった2011年に震災の被害者に。
それ以降は母親が女手ひとつで子供たちを育て、さらには3人兄弟の長男が父親代わりをするなどして震災を乗り越えてきました。
苦労してきた家族の思いを胸に、佐々木朗希投手は野球という舞台で頑張っています。
この先どんな活躍を見せてくれるのか楽しみですし、ぜひ応援もしていきたいと思います。
以上で、佐々木朗希投手の家族構成についてのまとめを終わります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!