こんにちは!
今回は、羽生結弦選手の家族構成についてチェックしていきます。
すっかりフィギュア男子の絶対的エースとなった羽生結弦選手。
2014年のソチオリンピック、そして2018年の平昌オリンピックの2大会連続金メダルは圧巻でした。
そして実力だけでなく、超イケメンなんですよね!
同じ男性目線から見ても、かっこいいと思います!笑
そんな羽生結弦選手ですが、
ご家族はどのような方たちなのでしょうか?
噂では、お父さんが学校の教師(教頭)を務めているとの話も・・・
そして、お母さんやお姉さんについてはどうでしょうか?
気になるご家族について、さっそくチェックしてみましょう!
羽生結弦のプロフィール
見目麗しい。イケメンなんて言葉は、軽々しすぎて相応しくない。
庭の梅の木と鶯でも眺めながら和歌読んでそう。あと、碁を嗜み、蹴鞠とかやってんのかな。なんかとにかく平安貴族っぽいの。#羽生くん #羽生結弦 pic.twitter.com/C9suf4SX5F— S🏳️🌈 (@misssunshine322) 2019年11月24日
- 名前:羽生結弦(はにゅう ゆづる)
- 生年月日:1994年12月7日
- 年齢:25歳(2019年12月現在)
- 出身地:宮城県仙台市
- 身長:172cm
- 所属:ANA
- 自己ベスト:322.59
- SP自己ベスト:110.53
- FS自己ベスト:212.99
羽生結弦選手がスケートを始めたのは4歳の時、キッカケは姉の影響と2歳のころから持っていた喘息を克服するためでした。
かっこよくも珍しい『結弦』という名前ですが、由来は「弓の弦を結ぶように凛とした生き方をしてほしい」というお父さんの願いだそうです。
今でこそ絶対的エースですが、実は羽生結弦選選手はこれまで大変な経験をされています。
2011年に起きた東日本大震災、
当時、仙台市にあるアイスリンク仙台で練習していた際に発生しました。
リンクは半壊して閉鎖となり、自身も避難所生活に。
多くの被害を前に「もうスケートなんてやってる場合じゃない」とも考えたそうです。
さらに練習場所の問題もありましたが、日本各地のアイスショーに参加しながら実力を磨き、グランプリシリーズのロシア大会で優勝を飾りました。
羽生結弦選手は、決して恵まれた環境だけでフィギュアを続けてきたわけではありませんでした。逆に過酷な状況だったからこそ、今の素晴らしい演技が生まれているのかもしれませんね!
これまでの主な成績・・・
18年平昌五輪優勝、14年ソチ五輪優勝
19年世界選手権2位
17年・14年世界選手権優勝
15年・14年・13年・12年全日本選手権優勝
16年・15年・14年・13年GPファイナル優勝
10年世界ジュニア選手権優勝
09年・08年全日本ジュニア選手権優勝
09年ジュニアGPファイナル優勝出典:スポーツナビより
羽生結弦の家族構成は?
羽生結弦選手は、
ご両親(父親・母親)と姉の4人家族です。
実家はもともと仙台市泉区の県営住宅でしたが、2011年の東日本大震災により全壊(判定)してしまいました。
当時は避難所生活を余儀なくされましたが、現在は同じ仙台市内に実家があるとのこと。
詳しい所在地などは分かっていません。
フィギュアスケート選手と言えば“お金持ち”というイメージがありますよね。
当時は県営住宅に住んでいたということで、少なくとも経済的に豊かな家庭ではなかったようです。
県営住宅に住むためには、収入額や生活環境などの条件があると聞きます。
生活を切り詰めて羽生結弦選手にフィギュアスケートを習わせていたのかもしれませんね。
羽生結弦の両親について
父親は学校の教師(教頭)?
羽生結弦選手のお父さんは、
学校の教頭先生だという噂があります。
調べてみたところ、
お父さんは仙台市内の中学校で校長先生を務めています。
そして、以前は教頭先生としても務めていたとのこと。
中学校の教員の年収は、平均で550万円ほどと言われています。
勤続年数を重ねたり、教頭・校長となるともちろん収入は上がるそうです。
羽生結弦選手のお父さんは校長先生であり、さらに勤続年数もある程度重ねていると思われます。なのでザッと年収1000万円くらいはあるのではないでしょうか?
県営住宅に住んでいた当時は、教頭や校長といった肩書きではなかったのでしょう。
年収が高いとなると県営住宅に住むこと自体難しいと思いますから。
そんな羽生結弦選手のお父さんですが、
実は子供の自主性を重んじる方だそうです。
元々野球好きだったこともあり、羽生結弦選手には野球を勧めたこともありました。
しかし、羽生結弦選手はフィギュアスケートの道を選んだそうです。
思いを知ったお父さんはフィギュアに口を出すことはなく、静かにその活躍見守っているようです。
お父さんの妹で、保育士の叔母もこう語っています。
兄は決してスケートに対しては、口を出しませんでした。ゆづに『もっと頑張れ』、『もっと練習しろ』とは言わず、一歩下がって、『おっ、頑張っているな』と声をかけて、見守るというのが、兄のスタンスでした。
出典:週刊現代より
父親であれば思わず口を出してしまいそうですが、あえて見守りところに愛情を感じますね!
フィギュアの練習は夜遅くまで行っていたそうですが、お父さんはいつも迎えに行っていたといいます。
さらに“スケートだけの人間になるな”という教えもあり、羽生結弦選手は遠征先にも教科書を持ち込んで勉強していたそうです。
フィギュアと勉強の両立なんて大変そうですが、それをやってのけるのもスゴイ!
やはり、教師をされている方が父親だと教え方が上手いのでしょうか?
実際は口うるさく言わずに子供に伝えるのって難しいと思います。
現在の活躍、そして若いにも関わらず謙虚でしっかりとした人柄はお父さん譲りなのかもしれませんね!
母親は?
羽生結弦選手のお母さんですが、
どうやら専業主婦として息子さんを支えているようです。
実際にアスリートとして必要な食事面やメンタル面のサポートしていますが、栄養管理やメンタルのケアについても勉強されてきたそうです!
さらに、以前は羽生結弦選手の衣装もお母さんの手作りだったんです。
羽生結弦選手の活躍の陰に母親あり・・・
決して楽をして現在に至っていないということが分かります。
そして、お母さんのスゴイところはこれだけではありません。
東日本大震災により練習場所のリンクが半壊した際、一刻も早く練習できるように関係各所に働きかけたそうです。
「お母さんはまさに駆けずり回って、結弦が練習を再開できるよう、スケート連盟やコーチにも片っ端から頭を下げて回っていた。こんな時だからこそ、結弦は滑らなければならない。ここでへこたれてはならない。母のその思いが結弦には伝わったのでしょう。『僕は自分のためだけに滑ってるんじゃない』と、彼が口にし始めたのはこの頃からです」(前出の友人)
出典:週刊現代より
お母さんのそんな姿を見たら、心底燃えるでしょうね!
実際に現在も素晴らしい活躍をしているわけですから、お母さんも誇りに持っているはずです。
羽生結弦の姉について
羽生結弦選手には、4歳上のお姉さんがいます。
そのお姉さんは、羽生結弦選手が昔ホームとしていたアイスリンク仙台で働いているそうです。
そして、お姉さんにもスケートの経験があります。
羽生がスケートと出会ったのは4歳の頃。スケート教室に通っていた姉の練習についていったのがきっかけだったが、目的は喘息を克服することにあった。
出典:週刊現代より
噂によるとかなりの実力者だという話もあります。
考えてみれば世界の頂点に君臨する羽生結弦選手のお姉さんですから、通じる才能はあるでしょうね!
現在はスケートはされていないそうですが、もし続けていたとすると・・・
兄弟で金メダルを獲得していた可能性もあり得ますよね!
羽生結弦の家族構成まとめ
今回は、羽生結弦選手の家族構成についてチェックしました。
- 羽生結弦選手は、ご両親(父親・母親)と姉の4人家族
- 父親は中学校の校長先生
- 母親は専業主婦
- 姉はアイスリンク仙台の職員
正直なところ、
フィギュア選手の実家=かなりのお金持ち
というイメージでしたが、羽生結弦選手の場合は違いました。
今でこそお父さんは校長先生という立場ですが、以前は県営住宅に住んでいました。
なので、当時は決して経済的に豊かではなかったのだと思います。
さらに東日本大震災で練習場所を失うという厳しい状況にも立たされてきました。
しかし、羽生結弦選手はそんな過酷な状況にも負けずにフィギュアスケートを続けてきました。
現在の最高のパフォーマンスができるのも、そういった苦しい環境を乗り超えてきたからこそなのでしょうね!